じゃあ、新聞社は?
無料モデルに呑み込まれ、コンテンツを有料化していくことがほとんど不可能になってきたこの業界の未来は最も暗い。
隅を折ったページがたくさん残った良書でした。
あとがきで、自身が毎日新聞の記者であった過去を小説「クライマーズ・ハイ」を引用して懐かしむ記述からも、タイトルは釣りっぽいですが、愛あるが故の批判であり提言であることがよくわかります。「愛」は「ジャーナリズム」への愛で、新聞社へのそれではなさそうですがw
新聞社のビジネスモデルは、「記事を書く人」「新聞紙面を作る人」「紙面を印刷する人」「新聞を配達する人」が同じ企業体で(販売店は厳密には組織としては別だけど)囲われていた垂直統合モデルって一般にいわれてますね。
コンテンツ=新聞記事
コンテナ=新聞紙面
コンベヤ=販売店
今日のインターネットの隆盛まで新聞を支えてきたとても優れたビジネスモデルでした。
しかし、ネット上で新聞社ニュースサイトのビジネスモデルを考えてみると、
コンテンツ=新聞記事
コンテナ=ヤフーニュース、検索エンジン、誰かのブログ、2ちゃんねる
コンベヤ=インターネット
と、説明されていて、3層モデルでそれぞれ現状がとてもすっきりと腑に落ちました。
読み終わって気がついたことが2つあって、
- 「ニュースを受けとる経路が変わっていることをなかのひと、気づいてる?」
- 「そもそもこの本をなかのひと読んでる?」
ってこと。
リクルートのR25の話にしろ、国会TVの田中さんの話にしろ、コンテンツで飯を食っている業界にヒントになりそうな事例は転がっていると思うのだが、そこから何かヒントになりそうなネタはころがっていないものかな。
日経が2010年に発刊すると発表された電子新聞(リンク先はPDF)もマネタイズできそうなトピックの1つにあげられることが多いですが、ページを割いて厳しい見通しを示されています。
- 無料のコンテンツがあふれかえっているネットの世界で、お金を払う価値のあるような良質な記事をちゃんと提供できるかどうか。
- ネット上で有料の電子新聞をスタートさせてもし成功したら、紙の新聞の読者を奪ってしまうことになる。電子新聞は価格が安いから全体の売り上げは減ってしまう可能性があるし、それ以上に読者を奪われた新聞販売店にどうやって説明するんだ?
- 紙の媒体と比べると、電子新聞は広告収益が少ない。
- 有料の電子新聞は、部数がそんなに期待できない。
- 部数が少なく閉鎖的な電子新聞は、世論形成への影響力が少なくなってしまう。
ということで。
何をやろうとしてもつくづく過去の遺産でがんじがらめになっている業界ですなあ。
よっぽどいままでおいしい商売してきたんじゃないかと思われても不思議ではない。
『上から目線で失敗した「サーバー型放送」』でテレビのプロジェクト失敗例があげられていますが、そのプロジェクトに電子新聞、というか紙面のレイアウトをそのままPCやモバイルの画面で見せるようなサービスに同じようなにおいを感じましたよ。
その手のサービスに共通するのは、コンテンツの重み付けを受け手にも強いている点だと思います。そもそも操作性いいんかってのもありますが、何十年も続いてきた見せ方がよそでも通用するんだ!っていう思考や気合いの源はなんなんでしょうね、いったい。
最後は、「いっぺん全部淘汰されてゼロから作り直しちゃえ」的にまとめられてるんですが、
良い記事を書いて読者から信頼される存在。
言論に携わるジャーナリストとしては、それで十分だ。
新聞社がもし本気で生き延びていこうと考えるのであれば、そのようなコンテンツプロバイダーとしての生き残りに賭けるしかない。
というのは、佐々木さんだからいえることなんだろうなあ、と。
もちろん、現在のポジションに到達するまで相応の努力はされただろうことは想像に難くないという点も含めて。
「ジャーナリズムを将来にも残していく」という観点からみれば、本書は趣旨はまったくそのとおりなのでありますが、現実には記者以外のさまざまな職種の人たちが新聞社を構成しているわけで。なかなか難しいところですね。
この本に書かれていることが、そのままなかのひとに伝わり、業界のあり方を見直すきっかけになることを願ってやみません。
《目次》
第1章 マスの時代は終わった(「マス」の消滅
「大衆」から「少衆・分衆」へ ほか)
第2章 新聞の敗戦(ミドルメディアで情報大爆発
広告業界はテクノロジー化する ほか)
第3章 さあ、次はテレビの番だ(開局以来の赤字転落
完全地デジ化と情報通信法 ほか)
第4章 プラットフォーム戦争が幕を開ける(グーグルは敵だったか
ネットユーザーを唖然とさせた毎日新聞 ほか)