twitterで著者ご本人がPRされてたのをたまたま見かけて、タイトル買い。
(上里さん、マンガも書いたりしてて、noteでもいろいろやられてる。おもしろいです)
「新聞投稿に見る百年前の沖縄」ってなんだろうと思ったら、大正時代の琉球新報の投書欄「読者倶楽部」からの選りすぐり集だった。
たんに選りすぐっただけで2,000円ということはなく、ちゃんと価格分のお仕事されてるのが随所に見られる内容。
元になっているテキストは大正時代の日本語だが、それをできるだけニュアンス残す形で現代の人にも読めるようにするのは大変な作業だったと思う。おそらくマイクロフィルムからの抽出だと推測するのだが、汚れやかすれも多々あって進捗に大きく影響していたのでは。
現代の投書欄は基本実名だけど、当時は匿名でも掲載されていた(本書の中にも「実名晒してやる」的な脅し文句を書いてるものも散見される)。担当のなかのひともときどきでてきたりして、すごくTwitterっぽい。
読んでいる間にずっと感じていたのは、上里さんも見返しのほかに何度か書かれているが「まるで現代のネット掲示板やSNSそのもの」。鬼女板とか発言小町とかYahoo!知恵袋とかTwitterをみているような。
別れた彼女への思いを語っちゃったり、拾った手紙をそのまま投稿しちゃったり、「にこにこしてたら福は来ますか?」という意味不明なものまで、よくそういう内容で投書したなと思うし載せる方の基準もどうだったのか興味深い。匿名だからできたことなのか、「新聞」に対してのイメージが今よりももっと庶民的だったからなのか…
はてなのanonymous diaryに書かれていた「日本死ね」の記事から社会問題としてマスメディアに取り上げられるまでに盛り上がってるけど、匿名可の投書欄、今の新聞がやってみてもおもしろいと思う。匿名・実名は読む側にはそれほど影響しないというか、身元が特定できるようになっていれば、どちらでもいい。少なくとも個人的には。新聞だって全部の記事が署名ついてるわけじゃないんだし。
身元明かすかどうかの敷居を下げることでいっそういろんな意見が集まりそうな気がするのだが、楽観的だろうか。
1つだけ残念なのは、なぜ、この本を琉球新報から、少なくとも沖縄県内の出版社から出さなかったんだろう?
2,000円の本は沖縄では売れないということかな。
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