東日本大震災からもうすぐ1年。
津波のあとの一変した街の映像を見るにつけ感じていたことを、あるpodcastを聞いたのをきっかけにエントリー書く気になったので熱が冷めないうちにまとまってないけどメモ。
家族や友達や大切な人が亡くなったり、財産や仕事がなくなったり、被災者の方にはいろんなつらいことがあったと思うけど、「見慣れた風景を二度とみることができない」ことも、直接的な不利益とはならないかもしれないけど、心にずしりとのしかかる事象なんじゃないかと思っています。
見慣れた風景って、見慣れてるからとりたてて残しておこうとはあまり思わないですよね、ふつう。明日もあさってもそこにある“はず”だから。いま残しておかなくても、いつもそこにある“はず”だから。だけど、もうみることができないかもしれないと気づいたときから、必死に残そう・探しだそうと“焦る”。
震災の遺品のなかでも、大事な写真が見つかってよかった的な話とか、Googleがこういうサイトをあまり時間をおかずにたちあげたりしたのも、そういうことへの焦りとか危機感のような感情からじゃないのかな。
「南三陸町のみんなに写真集を届けようプロジェクト」とか、首都大学東京の渡邉准教授(@hwtnv)の一連のプロジェクト「Member:Hiroshima Archive|ヒロシマ・アーカイブ」、「– Nagasaki Archive –」、「東日本大震災アーカイブ – Nagasaki Archive –」とか断片的ではあるかもしれないが、「たしかな記憶」として誰でもいつでも見られる形でアーカイブできているってすごく大事なんじゃないかと。
「まちのたね通信ネットワーク | 地域の暮らし、グルメ情報を地元住民が発信」も、何気ない街の風景を残すという趣旨ではすごくいいアプローチ。
私自身も3GからのiPhoneユーザーですけど、できるだけ写真撮るように心がけるようになりました。身の回りの「こと」や「もの」何でも。いらなければ捨てればいいだけなんだけど、後で撮ろうと思ってもできないこともありますから。「あ、」と思ったらできるだけシャッター切るようにしてます。
そういうようなことをぼんやりとおもってるときにたまたま聞いたpodcast「TBS RADIO 文化系トークラジオ Life」で「何のためのアーカイブ?」ってテーマで教養系雑談を繰り広げてくれていたのでした。
↑のページで音声やUstのアーカイブがあるので、おもしろそうだと思った方はみていただくとして、濱野智史(@hamano_satoshi)さんがエピソードとしてしゃべっていたのを、ちょっと長くなっちゃいましたが文字に起こしてみました。「残す」ことについて、上記の文脈とはずれるけど、おもしろいなーと。
「何のためのアーカイブ?」のその4、13分39秒あたりから。
ひめゆりの塔の祈念館って、ちょっとおもしろい。僕が行ったのは3、4年前に行ったんですけど。もう昔はまさにひめゆりの塔隊で生き残った人達が直接語って。「私こういう経験しましたよ」というのを語り部的に語るっていうのをひたすらやるってことをまあ、売りにしてるっていうとヘンですけれども、プレゼンテーションの仕方にしてたんですけど、さすがに高齢化して。ひめゆりの皆さんも。
しょうがないからっていうかもう、さすがに語れないので、祈念館の構成自体をはじめは普通に「戦争をこういうふうにやりましたよ」「ひめゆりの塔はこういうふうに巻き込まれましたよ」っていう公的な歴史から入って。最後の部屋が圧巻なんですけど、ひめゆりの塔隊の百何十何人の方の顔写真と簡単なプロフィール、この子は水泳クロールが得意だったとか、この子は弁当作るのがうまかったとか、まあ要するにミクシィに入ったような感じなんですよね。ミクシィひめゆりコミュとか入った感じで。一個一個名前見て「あーこの子けっこうかわいいな」とか「この子あんまりかわいくない」とか(笑)そんな感じで見ちゃうわけですよ。そんな並べられちゃうと。
で、その真ん中に当時のひめゆりの人達の語り部の文字起こしってのが書いてあって、でもそれ読むとけっこうすごくて。バッタバッタ死んでいくわけですよ。「あれ、後ろに書いてあるこの子がこの瞬間死んでんの?」みたいな。「洞窟から出た瞬間撃たれてクシャクシャになってもう何も見えなくなった」とかけっこう衝撃的な話が書いてあって。ミクシィの空間にきながらすっごいえぐい、なんかこう悲惨体験を読まされるっていう形ですごい当時の人達の当事者の主観的な目線で、いかに戦争に巻き込まれて悲惨だったかということを体験さす、追体験させられるという構成になってるんですね。
で、ここまでは「ひめゆりの塔悲惨ですごいな」って話でいいんですけど、おもしろいのが、その後に僕が行ったときはひめゆりの塔の人達が「でもこうやって主観的な語りをしていくだけで戦争体験って後の世代に伝えていけるものなんだろうか」と。あの人達死んじゃったらほんとに誰がその正当性担保すんのみたいな。
実際にじゃあナチスとかアウシュビッツの祈念館はどうしてるんだろうかっていう取材レポートしましたっていう記念展示がされてあってそれがすっごいおもしろいんですけど。
結局、アウシュビッツ記念館、ナチス記念館ではその記念館の説明員になるのに試験を受けると。歴史学、哲学、あとなんだっけな、思想とかを3つの試験を受けて80点以上とると説明員になれると。日本人で説明員になってる人がいるんですよね、ひとり。「え、日本人で別にユダヤとか関係ないし。関係ないじゃないですか当事者じゃないですか?」っていうんだけど、むこうの説明員の人が「いや、ナチスとかアウシュビッツの問題は人類全体にとっての普遍的な問題なので、試験で誰でも説明員になっていいという思想なんです」「ガーン!その発想はなかった!」ってすごいびびっててなるほどと。当事者だけで語ってちゃまずいのかと。後世に伝わらないと。っていうことをいっていて、すっごい僕、印象に残ってるエピソードなんですよ。
原発の問題はまだアウシュビッツのように人類共通の問題として普遍的にまとめられそうだが、津波はどうだろう?という流れでその後続きます。「建築物はアーカイブといえるのか」とかそういう話もしてるのでこの方面興味ある方はぜひ聞いてみてください。
やっぱりうまくまとめられないけど、ま、ぶっちゃけ「『次世代へ伝える』とか『後世に残す』とか大上段に構えなくても、写真撮るだけならスマホもってれば誰でも簡単にできるし、いらなきゃ捨てればいいだけなんで、とりあえず『残しておく』って大切だよなー。残さないことには何も始まらないし、残してどうするかはそのとき考えればいんじゃね?」ってことなんですけどね。